スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチから7年余り

私も、かのスピーチを直後に知り感動した一人で、1週間ほどかけてスピーチ原稿の日本語訳を作って公開したりもした。それから、ずっと細かな更新を続けている。最近は1年に1回、10月の初頭に更新をするだけだが。以下はその過程で感じたことである。

リンクは切れる

先にも挙げた自分の日本語訳の中には他の日本語訳へのリンクもあるのだが、切れてしまうものが多い。2ちゃんねるに投稿されたものはかなり以前に行方不明になったし、公開後数年間、検索でトップに来ていた市村佐登美氏の翻訳も探せば誰かがコピーしたところに見つかるだけで定番の場所はない。

日本経済新聞社に失望

今回、自分の日本語訳のメンテナンスの過程で、日本経済新聞社のウェブサイトにジョブズの死の直後に新たな翻訳が掲載されていたのを見つけた。それはに、明らかな間違いが散見され、日本語として一部意味が通っていないものである。これまで見た翻訳の中でも質が低い部類に入ると思う。死を悼むかたちで掲載しているにもかかわらず、このような出来では、死者に十分な敬意を払っているとは思えない。なぜ、こんないいかげんなものを掲載できるのだろうか。掲載しなくても、既に日本語訳はいくつもあるのに。
私が見つけた明らかな誤訳は以下の通りである。

  • ジョブズの産みの親が養父母に望んだのは大学卒の学歴であって大学院卒ではない。graduate studentは大学院生だが、college graduatesは大学卒ということである。
  • トイ・ストーリー」は「世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画」でない。世界初のcomputer animated feature film、映画館で上映される長編映画として初めてということである。
  • 好きなことを探す過程でしてはいけないのは、妥協であって立ち止まることではない。だいたい、探す過程で「立ち止まるな」というのはおかしい。settleは、直接的には判決を待たずに示談にすることを指していて、その文に即して訳せば「妥協」となる。
  • 「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」と毎朝鏡に向かって言うのは滑稽である。「その通りになる」とは翌日に死ぬことであり、確かにそういう日はいつか訪れる。それが、人生の糧になるとは思えない。「someday you'll most certainly be right.」のrightは「In or into a satisfactory state or order」という意味で「いつか必ずひとかどの人物になれる」とでも訳すべきである。
  • 「永遠の希望」のことなどジョブズは言っていない。external expectationsをeternal expectationsと見間違えたのだろう。
  • 「敗北する不安」のことなどジョブズは言っていない。「thinking you have something to lose」は、「失うものがあると考えること」である。

2012-10-14追記

上に指摘した点について3点目と4点目については「明らかな誤訳」とまでは言えない旨の指摘が朝日出版第3編集部のツイッターアカウントからあったので、それについて記す。

  • 「settle」は「立ち止まる」と訳すのが適切な場合もたぶんあり、「立ち止まらずに探し続けろ」ということはあり得る。そして、発した側はそういった意味合いも含めてsettleという言葉を使っているかも知れない。settleと意味の広がりをそのまま日本語で表現することは難しいので、訳す場合は中心的な意味を取らざるを得ないと思う。「don't settle」の中心的な意味が「立ち止まるな」であるとは私には思えない。
  • 「someday you'll most certainly be right.」とジョブズが言ったとき、会場で少し笑いが起こっていた。それは「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」と解釈した結果だろう。そのように解釈でき、そのように解釈した人がいたということと、それが適切な解釈だということは別のことである。そう思って来たが、rightを素直に解釈すべきだと思えてきた。卒業式のスピーチで、誤解されるような、持って回った解釈が必要なことを言う可能性は低い気がするからである。「毎日を人生最後の日であるかのように生きろ」というメッセージを「毎日を人生最後の日であるかのように過ごしていると、いつか必ずその通りになる」というトートロジー的でかつ少し滑稽な表現から汲み取っても不思議ではない。