誰のせいでもありません。愛するだけでいいのです

アメリカのラジオネットワークNPRで毎週月曜日に放送される、This I Believe2月12日に放送されたエッセーは「There Is No Blame; There Is Only Love.」と題するものであった。リンク先では音声がストリーミングで聞け、また、全文が掲載されている。その日本語訳は以下のとおりである。



誰のせいでもありません。愛するだけでいいのです
アン・カラシンスキ
自分の子供が成長してヘロイン中毒になることを期待する人はいないでしょう。親は子供が生まれた瞬間から未来への希望と夢を持ちますが、その中にヘロイン中毒は含まれません。それは私の子供には起こり得ないはずでした。薬物中毒は悪い環境、まずい子育ての結果だからです。誰かか何かのせいに違いありません。
私は以前そう信じていました。しかし、リハビリに失敗し、何度か長期間ヘロイン中毒の娘と離れ離れになり、何年も心配して過ごし、再発を経験したあと、今は誰のせいでもないと信じています。
ケイティーが自分の中毒を打ち明けてから、私は、なぜ娘がそうなったのか理解しようともがき苦しみました。聡明で、美しく、才能があり、そしてなにより、愛されている若い女性がなぜ。最初に受けた衝撃が和らいだあと、私はケイティーの中毒の理由や原因を洗いざらい分析し列挙しました。友達のせいにしました。父親のせいにしました。離婚のせいにしました。しかし、なにより、自分のせいにしました。必死だった私は確信しました。私はケイティーの中毒を防ぐべきであったと。そして、もう一度チャンスがあれば自分の過ちを正すことができるはずだと。
ケイティーがリハビリ生活から自宅に戻ったあと、私は士官学校教官の熱意で毎日に臨みました。12段階プログラムを身に付け、娘の回復を毎日確認しました。ヘロイン中毒を治すのは風邪の看病と同様に単純であるかのようにです。セラピーや中毒者互助会の会合に車で送って行きました。私はすべてをコントロールし、偶然の入り込む余地を残しませんでした。しかし、私の努力にもかかわらず、ケイティーはよくなりませんでした。家を出て、再び中毒に強力に引き込まれました。
それに続く何日も、何週間も、何ヶ月もの長きにわたって、私は細かな古い信念をつなぎ合わせて、大きな何かを作ろうとしました。ときにはあきらめ、ときには成り行きにまかせました。徐々に私は、悪者を探すのではなく、希望を熱望するように変わっていきました。私は、まだ私と娘を結び付けている唯一のものに安らぎを求めました。それは愛でした。
ケイティーのことを毎日思い、寂しく感じました。泣き叫び、娘の身の安全と居場所について心配しました。娘は決して読まないと分かっている手紙を何通も書きました。自分の母性本能が悪い事態を知らせているのだと確信して、夜中に恐怖で目を覚ましましたこともときどきありました。でも、そんな中、私はいつも娘を愛していました。
なぜ、そして、どのように娘がヘロイン中毒になったのか私にはわかりません。それは実はどうでもいいことだと私は確信しています。世は流れ、ケイティーはまだ私の娘です。
今では、ケイティーと私は毎週金曜日、いっしょに朝食を食べます。コーヒーを飲み、おしゃべりをします。娘を治そうとはしていません。私はただ娘を愛しているだけです。苦痛や悲しみを感じるときもありますが、誰のせいでもありません。愛するだけでいいのです。私はそう信じています。