他人に聞こえがいい自分ではなく、ありのままの自分を生きる

アメリカのラジオネットワークNPR(National Public Radio)の「Morning Edition」という番組では毎週月曜日に「This I Believe」という5分ほどのコーナーが放送される。一般の人から募った自分の信念に関するエッセーを、作者自身が読み上げるものである。ウェブページにエッセーの全文が掲載されているので、学習素材としてもいいと思う。ポッドキャストこれである。

2006年11月6に放送されたのはヨランダ・オバノン(Yolanda O'Bannon)氏による「毎日の仕事に生きる」(Living What You Do Everyday)と題するエッセーである。ウェブページ上でストリーミングが聞ける。その日本語訳は以下のとおりである。



毎日の仕事に生きる
ヨランダ・オバノン
私は、自分のありのままに価値があると信じています。他人に聞こえがいい自分ではなく。
去年、私は大嫌いだったプログラマーを辞めて、大好きな仕事、エグゼキュティブ・アシスタントに就きました。それは「秘書」を気取った言葉で表したに過ぎませんが。私は新しい仕事のことを聞かれると、まだ少し恥ずかしく感じます。仕事の内容のためではありません。自分を含めて一部の人達が秘書について考えてきたことのためです。
私はずっとこう考えていました。秘書は素敵で、たぶん有能だけれど、知的でも強くも独創的でもないと。私は英文学の修士号を持っていますし、ダライ・ラマにインタビューしたこともありますし、非営利団体を仲間と立ち上げたこともあります。私を知っている人達は、私がなぜ、かくも単調で社会的地位の低いとされている仕事をしようとしているのか不思議に思いました。私の新しい上司でさえ、退屈しないかと聞いたくらいです。
なぜ秘書になりたかったかと言えば、私にまさにぴったりだからです。一番大好きなことを一日中していられるようになりました。それは物事を取りまとめることです。上司のやたらと忙しいスケジュールの中で、最優先事項に焦点を保つという難問が私は好きなのです。私は高度の混沌に対処できます。資金計画のもつれをほどくことは、私にとっては探偵をしているようなものです。資料整理は心休まることだと気付きました。
困難なことはほんの少しです。自分自身と他人の固定観念に対処すること、そして、つつましい外見ではなく内なる報酬に焦点を当てることを身に付けることです。白状すれば、上司の訪問客に昼食やコーヒーを出すときに、私は漠然と恥ずかしく感じます。しかし、心の底では食事を供することは恥ずべきことではないと信じています。謙遜の鍛錬だと本当に思っています。私の夫はチベット人です。チベットの地域社会では、お互いにお茶を振舞うことで敬意を表します。職場でコーヒーを出すとき、私は僧侶をもてなしているのだと想像しています。
秘書であることで落ち込んだり自己防衛的になったときはいつも、ドラマThe West Wingに出てくる鋭敏で早口のアシスタントを思い浮かべます。彼らの台詞を思い浮かべて、すべて覚えてしまいます。すると自分がとても格好良く感じます。私はときどき、同僚の秘書を見回します。物事に通じ、明晰で、複数同時進行の達人である女性達。良い仲間に囲まれていることを再認識します。
私はこれまでの人生の中で、一人旅を沢山しました。ニュージーランドや、日本、アフリカ、インド。この仕事に就くことは、そのどれよりも困難でした。私がインド北部で1年間過ごす予定だと言ったとき、私の評価が上がりました。秘書になる予定だと言ったとき、人々は私に何が起こったのか不思議がりました。
私の技能がより尊敬され実入りの多いものだったら、ものごとはもっと簡単だったでしょう。医師や、建築家、科学者のように。パーティーで誰かと知り合ったときに、自分が格好良く感じたでしょう。でも友人が思い起こさせてくれました。自分が何をしているかをパーティーで話さなければならないのは5分間だけです。いっぽう、自分がしていることとは毎日共に生きなければなりません。それなら、自分が大好きなことをして、それがどう見えるかは忘れるほうがいい。そのように私は信じています。