Participatory Panopticon

IT Conversationsで配信されている表題の講演を聞いた。表題のリンク先からMP3ファイルがダウンロードできる。講演の内容は、多数の市民が自主的・積極的に監視に参加する高度監視社会を予見するものだ。刺激的な内容だが、講演者の言うように技術の進歩による当然の帰結かも知れない。

話はまずカメラ付き携帯電話が現在 社会にどのような影響を及ぼしていているかから始まる。今や世界的にカメラ付き携帯電話は普及している。2004年にニューヨークで開催された共和党全国大会では、デモの規制に違反して逮捕される人が続出した。そして、警察は証拠映像を裁判所に提出した。しかし、デモ参加者の多数が自分の携帯電話で逮捕の様子を撮影していた。その結果、警察の映像は都合よく編集されたものであることが明らかになり、逮捕者の多数は無罪となった。

別の話として、途上国での医療への利用の可能性の話もあった。スイスの皮膚科医が携帯電話のカメラによる皮膚の潰瘍の診断の成績を通常の診断と比較した結果、94%結果が一致したそうだ。

こういった技術の行く先として、常時携帯可能な小型のコンピュータと小型のカメラを身につけることにより、自分が見ているもの、聞いているものを常に記録することが可能になる。既にそのプロトタイプはある。まだまだ実用にはならないが、十分な性能になるのは時間の問題だ。そのような装置は記憶を助ける装置として非常に便利で、大いに普及が見込める。確実で褪せることのない記憶能力は非常に魅力的だからだ。しかし、人間の記憶は曖昧で時とともに失われていくという前提が崩れると新たな問題や摩擦が予想される。